まずは敬意を表して監督から。台湾では総教練といいます。ま、ヘッドコーチですな、アメフト流にいえば。名前は呂文生(リュ・ウエンション)サン。ユニフォーム姿は堂に入っていますが、今季後半から監督になったキャリアわずか5ヶ月の御仁です。
呂さん、もともと統一のセカンドでしたが、選手時代にはそれほどの成績を残していません。プロが発足した90年から9年間プレーして、通算成績は541試合で打率.212、打点90、本塁打1。(でもそんな人ほど、名監督になったりしてますな、日本では)。
引退後は、他チームで内野守備コーチをしてましたが、今季、統一にコーチで復帰。で、前任の監督が前期に退任したのを受けて、監督になったという次第です。本人も「まさか今年、監督になるとは思っても見なかった」と言ってましたが、でもチームの雰囲気としては、次期監督候補だったみたいです。
采配は至ってシンプル。見た目、サインらしいサインはありません(笑)。いわば「その日のオーダーを決め、送り出すまでが監督の仕事」というタイプ。日本で言えば、阪神の岡田監督的ですかね。放任と言うほどではないですが、基本は選手任せ。その代わり、怠慢プレーをした選手はすぐベンチに下げ、へたすりゃ主軸でも即二軍。ってことも今季はよく見かけました。その点はシビア。
ちなみにユニフォーム姿は「知将」っぽいですが、普段着姿で台湾の街を歩いているとき、もし目が合えば……私なら絶対目をそらします(笑)。でもパンチパーマじゃないですよ。
呂さんです。
監督は打撃投手もします。
監督はノックもします。
監督はグランドならしもします。
次はコーチ。投手コーチは呉俊良(ウー・シュンリャン)。1974年生まれだから、まだ33歳。若いです。前期までは現役兼任投手で二軍にいました。で、監督交代と同時に引退して一軍の投手コーチに(だから背番号も39と、コーチらしくない番号だったりします)。日本ならあり得ないことです。でも台湾なら、アリです。しっかし苦労しています。先発はともかく、中継ぎ以降がしんどいチームなんで。でもって台湾の野球中継って、やたらベンチを映すんです。彼に限ったことではないけど、もし投手が打たれたり凡プレーしたら、すぐベンチの投手コーチを映す。やだよね、きっと。撮られてるのも、よくわかっています。だからあえて冷静な顔していたり。でも試合後にロッカーに戻ると、いつもうなだれてました、私が行ったときはいつも(苦笑)。自他共にまだ未熟を認める投手コーチですが、それだけに今大会のようなイベントは、いい経験にして貰いたいものです。
これが呉俊良投手コーチ。ちょっとトッポイです。
次は一色優(イッシキ・マサル)。名前の通り、日本人コーチです。役職は体能調整コーチ。要はコンディショニングコーチです。台湾でも近年はトレーニングコーチが増えましたが、通常、台湾でトレ・コーチは「体能コーチ」と書きます。でも彼の肩書きには「調整」、つまりコンディショニングを加えている。まあ日本でもこの微妙な違いは専門家でないとわかりませんが、少しでも「トレーニングとコンディショニングの違いを知って欲しい」という彼の思いが込められているのです。簡単に言えば、トレーニングって、筋トレとかパワーアップのイメージがありますよね? でもコンディショニングって言ったら、もうちょっとデリケートな感じがしませんか? ま、ここで講釈しているスペースはないので割愛しますが、とにかく彼は今、台湾でユニフォームを着ている唯一の日本人コーチです。プロ野球の経験は勿論、硬式の経験もありません。でも、とにかく野球の仕事がしたくて、いろいろあって台湾に渡りました。もうかれこれ10年近く前のことです。実は彼とはその当時からの付き合い。まさかアジアシリーズで日本に「凱旋帰国」する日が訪れるなんて、その当時には夢にも思ってみませんでした。個人的には、感無量。
これからも、少しでも台湾人選手の体と心のサポート役を続けて貰いたいと思っています。
一色コーチ。最近、ちょっとふけました(失礼)。
コーチはまだ他にもおられますが、全員紹介できません。多謝。
ということで、次は投手編です。
(文・写真 木村 公一)
木村公一

1961年東京生まれ。80年代半ばから韓国プロ野球を取材。台湾は90年のプロ発足時からフォロー。アメリカもメジャーリーグからマイナー、独立リーグと野球あるところ歩き回る。著書に『裏方―物言わぬ主役たち プロ野球職人伝説』(角川書店)など。
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