真夏の野球好きP

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千葉県です。

幕張メッセの横です。
幕張海浜公園の横です。

海風なびくマリンスタジアムです。

バックスクリーンの後ろはすぐ海です。


7月5日以来の千葉マリンです。
1ヶ月以上のご無沙汰です。

そういえば、ここ1ヶ月はアマチュア野球三昧でした。

大学生やら社会人やら小学生やら・・・。

幸いにも、中年や女性には縁がなかったです。

あたりまえです。野球です。野球好きです。
中年好きや女性好きではありません。


今日の解説は本西さん、実況は大前さん、リポーターは社長の松岡さんです。

3人とも古い付き合いです。

本西さんとは本当に久しぶりです。

本西さんは開口一番、

『太りすぎ!』

おっしゃる通りです。そのままです。そんな感じです。


私は1993年から4年ほど、オリックスの中継を担当してました。
当時の放送はスポーツ・アイでした。CSバーンです。

鈴木一朗がイチローに改名して、大ブレークしたのもこの頃でした。

阪神大震災でプロ野球の開催が危ぶまれた事もありました。
『がんばろうKOBE』で優勝しました。

当時の実況はオリックス球団の大前さんで、センターを守っていたのが本西さんでした。

この頃のオリックス外野守備陣は完璧でした。
ライトイチロー、センター本西、レフト田口でした。

スポーツ・アイの"野球好きP"は片山文男でした。
私が制作担当で、片山が局の担当プロデューサーでした。

大前さんも松岡さんも、片山とは一緒に仕事をした仲です。
私を含めたそんな3人が今日は千葉マリンです。お盆です。

片山とは同じ年でした。子供も同じ年でした。
すぐに意気投合しました。

毎晩・毎夜・毎朝・毎昼、飲んだくれました。

彼の口ぐせはいつも、『あんた野球好きだよねー』でした。
会うたびに言われました。

突然の出来事でした。31歳でした。
彼の訃報を聞いたとき、涙が止まらず脱水症状になりました。

1週間ほど、大量の水分補給ですごしました。
彼の分まで飲み倒しました。


時代は流れて、スポーツ・アイとJSPORTSは同じ会社になりました。
もし彼が生きていたら、同じ職場にいたかもしれません。

野球好きPは彼だったかもしれません。

私は今、彼の仕事をしています。

お盆の時期、球場に行くと彼を思い出します。

私も最近ようやく"ちょい野球好き"になってきました。

ちょいです。まだまだです。

野球好きP。

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コメント(1)

実は以前、野球好きPから西武ドームに向かう道すがら、この話を聞きました。
でもこの記事を読んで、その時には感じなかった人と人のつながりの
言葉では書けない奥深さ・・・なんかそんなものを感じました。
いい話だと思いました。

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このブログ記事について

このページは、が2009年8月18日 18:15に書いたブログ記事です。

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