王貞治

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昨日の朝、西武ドームへ向かう途中に、
『試合終了後に王監督が記者会見を行う』という連絡が入りました。その時点で何の会見かは発表されませんでしたが、『遂にこの時がきたんだ』という思いでした。

個人的にはWBCの監督は王さんしかいないと思っていたので、非常に残念でした。ただ、最近の体調面の変化を考えると、現実を受け入れざるを得ませんでした。

私が物心ついた時には、もうすでに雲の上の人でした。自分が野球を始めた頃も、野球がまともに出来るようになった頃も、王選手は片足を上げる『一本足打法』でホームランを打ちまくっていました。756号の世界記録達成の時は日本国中が大騒ぎでした。

王選手が現役引退した時は中学2年生でした。テレビで引退会見を見た時『何で辞めるんや?まだまだ打てるやん・・・』思いは今と同じでした・・・。田淵や掛布以上に憧れていた選手でした。大好きでした。

WBCの決勝は、755号の記録を持つハンクアーロンが始球式をしました。マウンドへ向かうアーロンと一緒に登場したのは、これからキューバと決勝を戦う王監督でした。球場全体がスタンディングオベーションでした。大観衆が大拍手でした。涙が出そうでした。世界が認める『王貞治』でした。

昨日の会見で、
『私の体調不良が、かえって選手達にプレッシャーを与えているかなと感じていた・・』

それを聞いた時、胸が締めつけられる思いになりました。
好きで病気になった訳でもないのに・・。そこまで苦しまないといけないのか。

監督・・・、私がここまで毎日飽きずに野球に接していれるのは、野球を始めた頃に見た『王貞治』の姿があったからです。
子供の頃に覚えた純粋な感動がなければ、野球への興味がなかったと思います。

この場を借りて『ありがとうございました』と言わせて下さい。

そして、お疲れ様でした。


三木慎太郎




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世代交代ですね・・・。
必ずあることで、それを経て強くなっていく。
でもそこには必ず別れという寂しさがありますね。

北陸のひ弱な一野球少年だった私も、全く同じです。
プロ野球のスーパースターといえば、長島選手ではなく、王選手!でした。

SBにいらっしゃる王監督は、友人を通じ何かと情報が入ってきてました。

病状などを聞くたび、早く良くなってSBが優勝してくれ!と、期待を抱いていました。が、残念です。WBCも。

本当にお疲れ様でした。

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このページは、が2008年9月24日 11:04に書いたブログ記事です。

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